2006年03月27日

教えること

教えることというか、面倒を見ることは、私わりと好きみたいです。これも長女気質ってやつなんでしょうか?
でも、可能なら、面倒見られて構われる方がもっと好きですけどタラ~

この間、卒業していった学生たちに、教える人間に戻れと言われて、大泣きしたのは前日のブログの通りです。その日から、毎日、その言葉を反芻しては、じんわりと喜びを噛みしめてます。がんばってきて良かったなぁ。愛情注いで良かったなぁ。こんな未熟者な教員だったのに、こんなにも返してもらえるなんて、教える仕事ってやっぱ幸せな仕事だなぁキラキラ 

この仕事に就いて最初の頃、かなりの学生の基礎学力の無さに驚いた時期がありました。
自分の考えを、文章として表現できない学生たち。一文として完成させることができず、単語を並べただけとか。誤字どころか、漢字の無い文章もちらほら。話すことも、大変そうでした。「おしゃべり」の領域を越えた、「討論」をグループでしようとしても、彼らは自分の意見を、改まってクラスメートを前に話すのが、恥ずかしい。それなのに、それぞれの意見をグループでまとめるなんて。そして、みんなが話し出す討論の時間は、「休み時間」と勘違いしやすいらしく(?)、立って友だちのところにちょっかいを出しに行く学生も、ホント、クラス毎に何人かいました(こらこらっムカムカ)。
小中高と、どうやって暮らしてきたんだろう?とよく思わされたものでした。

けれど、です。
最初の忍耐(?)だけあれば、ほとんどのことはなんとかなるものでした。とにかく、彼らが解る言葉を探し、話す。だって、四文字熟語や抽象表現はアウトだったんですもんうわーん おかげで、大分弁ネイティヴ度(?)わずか4年で85点(お友達の採点によるピース)!そして、できなかった部分ではなく、わずかでもできたところを褒め倒す!できるってことを実感してもらわなくちゃ!だったのです。
褒めるのが、難しい学生もいました。でも、私にとってはそこが「忍耐」の修行どころでした。そこで、その人のことを一生懸命認める、というのは、私にとってはその人との関係性づくりでもあった訳で。
おだてることも、正直しましたが、でも、褒めるという行為は、根底に何らかのかたちの愛情が無ければしづらいものだと私は思います。この人は、きっとできるとどこかで信じていなければ、口先だけの言葉はたぶん、それがどこか空しいものだと伝わると私は思っています。

う~ん。なんだかまとまってませんが、そんな気持ちで教えてきたこの数年間、全く無駄ではなかったのだと、こんなにも想いは還ってくるものだと、今日は旦那の淹れてくれた美味~いコーヒーをすすりつつ、実感しました。

愛情は、還ってくるもんなんですよねハート
そして、私にとって、教えることは愛情をかけることでした。これまで、私のクラスにいてくれたみんな、たくさんの想いを返してくれて、ホントにありがとうね…サクラ



Posted by にゅい at 01:01│Comments(0)
 
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